漫画『キングダム』は、2006年に『週刊ヤングジャンプ』(集英社)で連載が始まり、アニメ化や実写映画化もされている人気作です。
『キングダム』のストーリーは、全体的に史実に沿って描かれています。
2024年11月現在、まだどの国も滅んでいませんが、いよいよ秦による韓攻略戦が始まります!
そこで本記事では、以下の内容について考察します。
- 韓は史実通りに滅亡するのか
- 7つの国が滅びる順番
- 秦は本当に中華を統一できるのか
『キングダム』に登場する7つの国とは?
『キングダム』の舞台となる戦国時代の中国には、以下の7つの国が存在します。
- 秦(しん)
中華統一を目指す物語の中心となる大国。 - 楚(そ)
領土が中華全土の約半分を占め、秦と並び二大強国とされる大国。 - 斉(せい)
「東帝」と呼ばれるほどの全盛期を誇ったが、燕の合従軍に敗れて衰退。 - 燕(えん)
他国にあまり情報が伝わっておらず、未知の部分が多い。 - 趙(ちょう)
秦と幾度も激戦を繰り広げ、長平の戦い以降 秦に対して根深い恨みを抱いている。 - 魏(ぎ)
中華の中央部に位置し、地理的に他国と接しているため、戦略的な要地を守る必要がある。 - 韓(かん)
七国の中で最も領土が小さく、最も弱小な国とされ、秦の脅威に最初にさらされる。
これらの国々が、戦国時代の覇権を争いながら、激しい戦いを繰り広げます!
韓は史実通りに滅亡するのか?
史実通りであれば、韓は騰によって7つの国の中で最も早く滅亡します。
『キングダム』のストーリーは全体的に史実に沿って描かれているため、韓が滅亡する可能性は非常に高いでしょう。
では、韓がどのように滅亡するのか、その流れを見ていきましょう。
番吾の戦いで秦は趙に敗北。
これにより、秦は趙攻略を一時中断し、将軍・騰の軍で韓を狙う作戦に変更。
秦軍は韓の南陽を無血開城で制圧し、犠牲ゼロで勝利。
秦軍16万(騰軍・飛信隊)VS 韓軍19万(洛亜完・博王谷)
魏:秦軍が新鄭攻めに移った際 進軍
趙:英呈平原で秦軍が勝利した場合 出陣
騰率いる秦軍が新鄭を急襲し、韓王安を捕虜とし、韓は滅亡。
韓滅亡による影響とは?
韓の領土・人・金を奪い、その力をもって再び「李牧」に挑み、趙を滅ぼすためです。
韓が滅びて秦の支配下に入ることで、次のようなメリットがあります。
- 資源と人材の確保による軍事力の強化
- 他国への進軍がスムーズになる
韓の資源や人材、優れた武器製造技術を手に入れることで、秦の軍事力はさらに強化されます。
また、韓は魏・趙・楚の間に位置しているため、秦がこれらの国に進軍しやすくなります。
戦略的な拠点を押さえることで他国の防衛が弱体化し、秦は中華統一への道を一層加速させることができるのです。
7つの国が滅びる順番
『キングダム』における戦国時代、秦は中華統一に向けて他の6国を順番に滅ぼしていきます。
その順序は、史実に基づくと以下のようになります。
- 韓(紀元前230年)
- 趙(紀元前228年)
- 魏(紀元前225年)
- 楚(紀元前223年)
- 燕(紀元前222年)
- 斉(紀元前221年)
1番目:韓の滅亡(紀元前230年)
- 韓は戦国七雄の中で最も早く滅びた国
- 韓の滅亡は紀元前230年に起こった
- 滅ぼしたのは秦の将軍・騰
騰は10万の兵を率いて韓に攻め込み、首都を陥落させました。
最後の韓王・韓安を捕虜とすることで、韓はついに終焉を迎えます。
この韓には、著名な思想家・韓非がいました。彼は法家思想を体系化した「韓非子」を執筆し、その思想は秦の始皇帝に大きな影響を与えました。
これが秦が法治国家としての体制を築く大きな要因となります。
韓の滅亡は、秦が中華統一を目指して進軍する上で、重要な一歩となったのです。
2番目:趙の滅亡(紀元前228年)
- 韓に続いて滅んだのは、名将・李牧が守っていた大国 趙
- 趙の滅亡は紀元前228年に起こった
- 幽繆王の命令で、李牧 処刑
- 秦の将軍・王翦が都・邯鄲を攻め落とした
李牧は数々の武勇伝を持つ名将で、燕の城を落とし、何度も秦の侵攻を退けたことで有名です。
李牧を恐れた秦は策を講じ、趙にスパイを送り込みました。
秦は幽繆王に取り入っていた側近・郭開を買収し、「李牧と司馬尚が謀反を企てている」という嘘の情報を流させます。
これを信じた幽繆王は激怒し、李牧を処刑してしまいました。
しかし、そのわずか数ヶ月後、秦軍は邯鄲を陥落させ、趙は滅亡を迎えるのです。
3番目:魏(紀元前225年)
- 趙に続いて滅んだのは、魏
- 魏の滅亡は紀元前225年に起こった
- 滅ぼしたのは秦の名将・王賁
王賁は王翦の息子で、その知略と武勇は父親譲り。
魏の都・大梁は守りが堅く、攻めにくい城として有名でしたが、王賁は見事に攻略しました。
王賁が考えた作戦は「水攻め」で、黄河の水を大梁に引き込み、城を洪水で破壊するという大胆な戦術でした。
籠城していた魏軍は水に追い詰められ、城壁が崩壊。
数ヶ月後、最後の魏王・王假は捕らえられ、魏は滅亡したのです。
4番目:楚(紀元前223年)
- 魏に続いて滅んだのは、楚
- 楚の滅亡は紀元前223年に起こった
- 昌平君が楚の王として戦い、戦死
- 滅ぼしたのは王翦と蒙武の連合軍
紀元前225年に李信と蒙恬が楚に侵攻しますが、楚の名将・項燕に打ち負かされ、圧倒的な敗北。
その後、秦は戦略を変え、王翦に大軍を託して再び楚に攻め入ります。
項燕は李信と蒙恬には勝利しましたが、王翦軍には歯が立ちませんでした。
楚はさらに追い詰められ、秦の総司令官である昌平君を頼ることになります。
ここで驚きなのは、昌平君が楚の王として戦うことです!
彼はもともと楚の王族であり、項燕の懇願を受け入れて楚の最後の希望として立ち上がりました。
しかし、王翦と蒙武の連合軍に対抗するも、なすすべなく敗れ、昌平君は戦死してしまいます。
楚は想像以上に手ごわい相手であり、激闘の末にようやく滅ぼされたのです。
5番目:燕(紀元前222年)
- 楚に続いて滅んだのは、燕
- 燕の滅亡は紀元前222年に起こった
- 滅ぼしたのは秦の将軍・王賁
王賁が燕の首都・蓟を攻め落とし、燕太子丹を捕らえたことで、燕は秦の支配下に入りました。
燕の滅亡には、趙の生き残りである代王が関係しています。
趙の代王は燕と手を組んで、秦王・嬴政の暗殺を企てましたが、失敗に終わりました。
この暗殺未遂に激怒した嬴政は、王翦と李信に燕への進軍を命じます。
特に李信は、逃げる燕王とその息子、そして結託していた趙の代王を執拗に追撃し、彼らを東の果てまで追い詰めました。
窮地に陥った燕王は、自分の息子が暗殺計画の首謀者であると認め、その首を差し出すことで延命を図ります。
しかし、最終的に再び秦軍の攻撃を受け、燕は滅亡しました。結託していた代王も捕虜となりました。
6番目:斉(紀元前221年)
- 戦国七雄の中で最後に滅びたのは斉
- 斉の滅亡は紀元前221年に起こった
- 滅ぼしたのは王賁・李信・蒙恬
秦の将軍たちである王賁、李信、蒙恬が斉に攻め込みました。
斉王・建は抵抗することなく降伏し、捕虜となったことで斉は滅亡しました。
斉は合従軍侵攻の際に早々と離脱し、その後は事なかれ主義で生き延びてきました。
近隣諸国が次々に滅んでいく様子を見守りながら、なんとかやり過ごしていたのです。
しかし、国境の軍備を整え始めたことで、逆に秦に攻撃の口実を与えてしまいます。
こうして王賁、李信、蒙恬の連合軍が斉に侵攻し、斉王・建は無抵抗のまま捕虜となり、斉はついに歴史の幕を閉じました。
秦は本当に中華を統一できるのか?
史実通りであれば、秦は中華統一を成し遂げます。
『キングダム』のストーリーは全体的に史実に沿って描かれているため、秦が中華を統一する可能性は非常に高いでしょう。
嬴政は後に中国初代皇帝「始皇帝」となり、長年の戦乱を終わらせて初めて中華を統一した偉業を成し遂げます。
作中でも多くの人物が「中華統一など不可能だ」と語りますが、嬴政はその信念と仲間たちの支えによって不可能を可能にします。
信や王賁、李信、蒙恬など、秦国の将軍たちの活躍も欠かせません。彼らの奮闘と嬴政の決意が、一つの国を築く礎となり、中華統一という壮大な夢を現実のものとするのです。
まとめ
漫画『キングダム』は、2006年に『週刊ヤングジャンプ』(集英社)で連載が始まり、アニメ化や実写映画化もされている人気作です。
『キングダム』のストーリーは全体的に史実に沿って描かれていますが、原作者の原泰久先生は「史実そのままでは物語が面白くならないので脚色している」と語っています。
2024年11月現在、まだどの国も滅んでいませんが、いよいよ秦による韓攻略戦が始まります!
そこで本記事では、以下の内容について考察しました。
- 韓は史実通りに滅亡するのか
- 7つの国が滅びる順番
- 秦は本当に中華を統一できるのか
最後まで読んでくださりありがとうございました♪